投資用不動産の最適化!
家族とは抽象的でわかりにくい人間関係です。
そこで具体的で形のある「住まい」という空間から、「家族」を見てみようと考えました。
なぜなら「家族」は住まいという「空間」を適してしか、実現されないものだからです。
そこで、いろいろな人に会い、さまざまな家族と出会い、そして多くの住まいを見学しました。
それは嵐のような好景気がまたたくまに消え去って、東京の地下では狂信的な組織が毒ガスをまき散らし、十四歳の少年が切り落とした子供の首を校門に飾るといったそんな不可解で残酷な事件がつづいたころでした。
けれど当時の人々は、まだそれでも「家族」への信頼と「マイホーム」の夢を失っていなかったようにおもいます。
この不況も経済循環のひとつにすぎず、やがて回復する。
数々の事件も自分の家族とは無関係で、例外的な出来事にすぎない。
そういう雰囲気が一般的だった。
けれど、それもいまではなんと牧歌的で、のどかなひとときだったのかとおもえます。
驚くような事件が起きました。
名古屋市の三〇歳代の主婦が深夜のゴミ出しのとき「女に刃物で斬りつけられた」というのですりけれどのちにそれが虚言だと判明、理由は「夫がゲームに夢中になってゴミ捨てを手伝ってくれなかったから」というものでした。
ささいな事件ですが、その昔後には恐ろしいほど末成熟で、空疎ともいえる家族関係が横たわっていますゲームやパチンコに夢中になって子供を死なせてしまう親もいます。
深夜の居酒屋に幼子を連れてのみに出かける親など、いまではさして珍しさはありません。
さらに最近では「別居婚」といった言葉も一般的に使われるようになりました。
それほど夫婦の一体感は薄れてきています。
あきらかに家族は、かつての家族ではありません。
現在、日本の家族はどこへ行こうとしているのでしょうか?家族が家族である時間より、それぞれが「個人」である時間のほうがずっと長く、そして重要視される。
家族の「絆」という言葉はもはや過去のものになったかのようです。
家族はこのまま崩壊してしまうのでしょうか?けれど、家族がきれいさっぱりなくなってしまうことはない、と断言できます。
わたしたちは家族以外に子供を育てあげる「システム」をもっていません。
子供が育たなければ社会そのものが成りたたない。
だからこそ、私たちは家族という「システム」を手放すことはない、とおもいます。
さらに家族はたがいを支えあって生きていくという、かけがえのない人間関係でもあります。
この点でも、家族は存在しつづけるということができます。
にもかかわらず家族のかたち、ありがたはこれから大きく変貌していくでしょう。
ケイタイ(携帯電話)、インターネットとハイテク化される情報社会、あるいはコンビニ、ファミレスなどによって住まいから外部化される「食」。
さまざまな環境変化は家庭の風景を大きくかえようとしています。
ぼくはその変化をもう少しくわしく見てみたいとおもいました。
その物差しとなるのはやはり住まいです。
住まいはリビングルーム、キッチン、寝室などによって構成される空間の集合体です。
それら空間にはそれぞれの役割があります。
その役割は理想化されたり、建前として論じられたりして、かならずしも現実を反映してはいません。
そこでいま一度、住まいのなかの「場」を、それぞれの役割から考えなおしてみることにしました。
リビングルーム、キッチンといったコモンスペース=共有空間の果たすべき役割とはなにか?そしてプライベートスペース=個室空間は家族関係をどのようにかえているのか?そうした問いから、現代家族のもっている問題点をさぐろうと考えました。
けれど家族も住まいも、ひとつの枠のなかにおさまりきるものではありません。
それぞれの家族にはそれぞれ異なった状況があり、別々の風景があります。
それでもなお、この時代ならではの、共通した家族状況を描きだすことは可能です。
なぜならどんな家族も、その時代と環境に無縁ではいられないからです。
かつて家族とは制度においても、あるいは社会的なコード=規範においても、非常に強いタガをはめられていました。
個人はそこから容易に抜けだすことはできなかった。
よって、人々が感じる家族の「問題」とは、ほとんどが「抑圧」「札轢」といった内部に凝縮する息苦しいものでした。
それが、最近のように家族のタガがはずれ、家族であるより個人である時間が長く、さらに個人の空間が住まいのなかでも優先されるようになってくると、むしろその「問題」は実感のない家族関係によって生まれる「空虚感」といったものに変質している場合が多いようです。
では、これからその「家族」はいったいどこへ向かおうとしているのか?その答えを住まいという空間のなかにさぐってみたいとおもいます。
「住まい」とひとことでいっても、その形はじつにさまざまです。
現在の日本ほど、いろいろな住宅が混在している国はないでしょう。
郊外の住宅地を歩くと、それが一目瞭然です。
瓦葺き屋根の「純和風」木造建築があるかとおもえば、白いペンキがまぶしいジョージアン様式を模した、まるでホワイトハウスのような住まいもあります。
最近ではコンクリートうちっぱなしのモダンなスタイルも目につくようになりました。
また屋根全体がソーラーパネルになっていて、屋内に通信ケーブルをはりめぐらしたハイテク「電脳住宅」なども登場しています。
せまい敷地しか確保できない場所には、車庫も備えた三階建てのテラスハウスとよばれる家が、隙間なく身をよせあうように建っています。
都心の再開発地域や湾岸地区に目を転じれば、真新しい超高層の集合住宅が、あたりを陣臥するように林立しているのを見ることもできます。
ぼくが住んでいる鎌倉には、いまも古い洋館や板塀にかこまれた縁側のある家とモダンなマンションが共存している場所も多く、散歩しているとなつかしさと同時に新しさも感じます。
このように、さまざまな形をした住まいが雑然と建ちならぶ光景を嘆く声も、多くあります。
統一感のなさが景観として美しさを欠く、あるいはいろいろな形が混在しているこの状況が、日本人の住宅観の混乱ぶり、ポリシーのなさをそのまま象徴しているという意見もあります。
けれど住まいを服装になぞらえて考えれば、この「混乱」ぶりもそれほどおかしなものではありません。
街を歩けば学校の制服姿から和服、スーツ、そして最近の若い世代のルーズでラフなスタイルまで、世界のあらゆるファッションを見ることができます。
一年ごとに変化するファッションと住まいはちがうという意見もあるでしょう。
住宅が使い捨てのファッションのようになっている現状を嘆くそんな声にも一理あります。
けれど形がさまざまな外観とはちがって、その内側、つまり住まいのなかには案外共通点が多いものです。
間取りや置かれた家具などは大同小異、よく似ています。
それは服装はちがっても、身体に差があまりないのとおなじです。
まずどの家にも、玄関を入ると一段高い上がり杜があります。
外観が和風、洋風問わず共通してもうけられているこの梶という「装置」は、日本の住まい独特のものです。
その梶で私たちは靴を脱いであがります。
たとえジョージアンふうの西洋住宅でも、靴を脱がない家というのはまずありません。
部屋の構成も似ています。
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